京都地方裁判所 昭和29年(ワ)869号 判決 1958年2月12日
原告 石塚忠義 外六名
被告 京都市
主文
被告は原告石塚忠義、同葉山健二、同長野景昌、同野村秀和に対しそれぞれ金五萬円を、同佐甲明に対し金参萬円を、同大江慶治、同田代実に対しそれぞれ金弐萬円を支払え。
原告等のその余の請求は棄却する。
訴訟費用は被告の負担とする。
此の判決は、原告石塚忠義、同葉山健二、同長野景昌、同野村秀和において各自金壱萬五千円の、同佐甲明において金壱萬円の、同大江慶治、同田代実において各自金七千円の担保を供する時は各原告勝訴の部分につきそれぞれ仮に執行することができる。
事実
(申立)
原告(請求の趣旨)
被告は原告石塚忠義、同葉山健二に対し各々金五〇〇、〇〇〇円を、同長野景昌、同野村秀和に対し各々三〇〇、〇〇〇円を、同大江慶治、同田代実、同佐甲明に対し各々二〇〇、〇〇〇円をそれぞれ支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
仮執行の宣言。
被告
原告等の各請求を棄却する。
訴訟費用は原告等の連帯負担とする。
(主張)
原告
一、原告等は昭和二八年一一月一一日、当時いづれも京都大学学生であつたが、立命館大学学生による「わだつみ像」観迎市中行進に参加するため京都大学学生約一二〇名の行進団に加わり、同日午後四時二〇分頃、京都市左京区吉田二本松町京都大学時計台下を出発し、右行進団の先頭部に立つて同区近衛通、川端通を経て同区川端通荒神口付近の加茂川に設置されている荒神橋を東より西に渡ろうとして四列従隊で同橋の南側を通行(左側通行)してほぼ中央近くまで進んだところ、右行進団を阻止するため同橋西詰付近で待機していた京都市警察中立売警察署所属の約一四名の警察官の中からその統率者であつた警部見習訴外松浦美雄が警察官二名と共に同橋中央付近に進み右行進団に対し両手を拡げてその行進を阻止しながら「無届デモだから解散せよ」等と大声で連呼し、「責任者は誰か」と呼んで学生と対峙した。この時行進団の引率指揮者訴外松浦玲が「僕だ」と言つて進み出ると、同人は松浦警部の「連れてゆけ」との声で二人の警察官に腕をとられ警察官の列の方へひきずり込まれそうになつたので、それをふり切り行進団の隊列の先頭と第二列との間に入り込もうとしたが遂に警察官にひきずり出された。この時松浦警部ほか二名の警察官は、松浦玲を守るために前進する行進団を阻止しようとしてこれと揉み合い、次第に西方に後退した。この時同橋四詰付近で待機中の警察官約一〇名は松浦警部等に応援するため橋を東進し、行進団を押戻すために警棒を両手で持ちこれで先頭にいた学生を押したりその先端で胸、首、顔等をこづいて行進団を次第に後退させ、更に南側欄干を起点として北側へ弧を画いた形で圧迫したので行進団の先頭数列は隊形が乱れ斜傾して南側欄干へ重なり合つてかためられ、その状態で警察官の圧力を押し返そうともみ合つた。
この時突然荒神橋南側欄干約一五米が折れ、加茂川に落下し、警察官のため右欄干に押しつけられていた原告等は折重なつて加茂川に転落し河床に激突した。
二、右の様にして転落した結果原告等七名はそれぞれ左の様な傷害をうけた。
(1) 原告石塚は三ケ月間絶対安静加療を要する胸部打撲による左(湿性)胸膜炎。
(2) 原告葉山は三ケ月の治療を要する脳挫傷兼顔面挫創、右撓骨左撓骨骨折。
(3) 原告大江は一〇日間の加療を要する上下口唇挫傷(上長さ一糎一針縫合、下長さ二糎二針縫合)、打撲による前顎部皮下出血、上外傷性歯髄炎。
(4) 原告田代は一〇日間の加療を要する左足関節及び左第二指関節捻挫、打撲による陰嚢皮下出血、長さ一、五糎の左上腿嵩部挫傷。
(5) 原告長野は一ケ月加療後尚ギブスベツト、ギブス副子の使用を要する骨盤骨折、右撓骨骨折及び顔面挫傷。
(6) 原告野村は約一ケ月入院の上更に安静加療を要する顔面挫創、頭部挫傷、左大腿刺創、外傷性脳膜炎、別途治療継続を要する下顎門歯四個歯牙断裂。
(7) 原告佐甲は約三週間入院の上更に安静を要する左肩胛骨皹裂骨折、右肋骨弓部軟骨挫傷。
原告等は右の転落並びに傷害のため、それぞれ物資的にも精神的にも損害をうけた。
三、前記松浦警部外十数名の警察官はその職務を行うにつき故意又は過失によりその正当な職務行為の範囲を逸脱し、違法な実力行使に及び、警棒で原告等を欄干に押しつけ、欄干を切損させて原告等を河床に転落させ、右の様な損害を生ぜしめたものであり、被告京都市は当時右警察官等の所属する京都市警察を維持しその費用を負担していたものであるから、右につき損害賠償の責任がある。
四、(1) 荒神橋は被告の管理する市道と一体となつてその効用を全うする施設であり、被告の管理している公の営造物である。
(2) 右橋の欄干はところどころ甚しく腐朽しており欄干の脚部は橋の上に固着せず手で押せばぐらぐら動くという非常に不安定な状態であり、多数の通行人が一時にこれにもたれかかつたり、車馬が通行の際にあやまつて欄干に突当つたりした場合にはたやすく欄干が崩れ折れて不測の事故を招来するおそれがあり、ことに本件で折損した欄干は特に朽廃がひどくわずか五、六名の体重で、たちまち折断落下する状況であつた。しかるに被告はこれの改修を怠つたまま放置し、その管理に瑕疵があつたため前記の転落事故を惹記し、原告等に損害が生じたもので、仮に前項の主張が認められないとしても被告はこの理由において原告に対し前記損害につき賠償の責任がある。
五、よつて原告等は被告に対し精神的損害に対する慰藉料の内金としてそれぞれ請求の趣旨記載の金員の支払を求める。
六、被告第一項(2) の主張に対しパトロールカーより何か放送はしていたが拡声機の性能が悪いため行進団には何を言つているのか聞きとれなかつた。又行進団から警察官に対し投石した事実はない。
被告
一、原告主張第一項につき
(1)(認否)原告等が京都大学学生であつたこと、原告葉山、同野村が行進団の一員であつたことは認める。
その余の原告が行進団に加つていたこと、松浦玲が松浦警部の連れてゆけとの声で二人の警察官に腕をつかまれ、警察官の列の中へひきずり込まれそうになつたこと、松浦玲が遂に警察官にひきずり出されその時松浦警部と他の警察官二名は、松浦玲を守らうとして前進する行進団を阻止しようとして揉み合つたこと、約一〇名の警察官が警棒の先端で胸、首、顔をこづいたこと、警察官のために欄干におしつけられていた原告等が折重つて加茂川に転落したことはいずれも否認する。
(2)(主張)昭和二八年一一月一一日午後二時五〇分頃京都市左京区京都大学構内時計台下広場で集会を行つていた同学学生を主力とする学生約一二〇名は同日午後四時二〇分頃スクラムを組んで行進し、一旦同大学吉田分校に入り、約一〇分後四列縦隊のスクラム態勢を整えて同分校を出発し、民族独立行動隊の歌を高唱しながら同区東一条通を西進し、白河通、同大学附属病院内、近衛通、川端通を経て午後四時四二分頃荒神橋東詰に到着した。その間東一条通及び同橋東詰付近で京都市警察の警察官がパトロールカーに乗つて無届集団行進の隊列を解き、三々五々通行する様再三警告したにもかかわらず、行進団の学生等はかえつてプラカード五本をかかげ四列従隊でスクラムを組み同橋上を西進しはじめたので、右行進団の先頭が同橋の東より西へ約三分の二付近まで至つた際、取締りのため同橋西詰所在の同警察中立売警察署荒神橋口巡査派出所で署員一三名を率いて待機警戒中であつた同署警備隊の指揮者警部松浦美雄は単身同橋西詰から東へ約三〇米進んだ橋上で行進団の先頭部に接近し、解散する様警告したがかえつて学生等は松浦美雄に対し罵言をあびせ、プラカードを振るなど多衆の威力を示して圧迫した。右派出所でこの状況を見ていた警部補出口龍太郎は単身その場に至り行進団を制しようとしてその先頭から隊列の中程に添い、再三その隊列を解散する様警告したが学生等はこれを聞きいれないで、松浦警部は集団行進の責任者を大声で呼び、責任者と目される松浦玲に話し合う様要求したが同人はこれを拒否し、かえつて学生を煽動し、学生等は益々気勢をあげ「行け行け」とさけび、かけ声をかけ、行進団の先頭にいた者は遂に制止中の右警察官両名に対し暴行を加えたため、右警察官等は七、八米後退しながら窮地におちいつた。同橋西詰で待機中の警察官一二名はこのときこれの応援救出にかけつけ行進団を制止しようとしたが学生等はこれに罵言と投石をあびせ気勢をあげてこれが制止を突破しようとして前方に押出して来たので警察官等はじりじり押されて後退しながらも横隊形をとつてこれに対峙していたところ午後四時四七分頃その行進団の先頭より四、五米のあたりが乱れ、その付近にいた学生一〇名が加茂川河中に転落した。右の事故は行進団の先頭があまり前進しないのに後方の者が押したためゆきづまつた多数の集団員の圧力が欄干にかかつた結果、同橋南側西端から東三一、一米の位置にある石束柱より更に東へ一五、三米の位置にある石束柱の間の木製欄干の全体が圧迫され一瞬に河中に落下したことによるものである。
二、原告主張第二項につき
(1) 原告葉山が右事故によつて河中に転落し、主張の様な傷害を負つた事実は認めるが治療日数は否認する。同原告は同年一二月二〇日京都第二赤十字病院を全治退院している。
(2) 原告野村が河中に転落し負傷したことは認めるがその余は否認する。同原告の負傷は顔面挫傷、上門歯三本欠損、左大腿挫創兼挫傷、右大腿挫創であり京都第二赤十字病院収容後間もなく平和病院に移り治療をうけ同年一二月一〇日全治退院した。
(3) その余の原告については転落負傷の事実をすべて否認する。河中に転落し且つ負傷した者は全部で一一名であり、その内葉山健二、井上正三、野村秀和、佐甲明の四名は市警北部警ら隊輸送用トラツクで京都第二赤十字病院に収容され、水野能成、山口一雄、川田豊、平山栄一、横山昭、飯塚浩、小野一郎の七名は中立売署サイドカー及び救急車で京都府立医科大学付属病院に収容されたもので原告のうち右一一名の中に見出されるのは葉山及び野村の二名にすぎない。
三、原告主張第三項中被告が京都市警察を維持しその経費を負担していることは認めるがその余は否認する。学生等の前記行進は昭和二四年六月一日京都市条例第二九号集会及び集団示威運動に関する条例第一条に該る違法なものであり、前記警察官等は警察官職務執行法第五条にもとずき警告、制止したもので適法な職務行為である。
四、原告主張第四項につき
(1) 原告の(1) の主張は認める。
(2) 高欄の効用は通行車輛に対し橋梁の限界を示し安全感を与えることを主とし、車輛の軽微な衝突及び群集のよりかかりに対し安全であることを目的とするものであつて多数の通行人が一度にこれにもたれかかつたり、車馬の通行の際に誤つて欄干に突き当つたりすることを予定してこれに耐えうる程度の強さをもつて設計されているものではない。
本件荒神橋欄干は昭和二八年当時、昭和一六年四月内務省より示された木道路橋設計示方書にある欄干に作用する推力は一米当り三〇瓩を標準として欄干の頂点に作用するものとするという規格をも、又建設省より示された設計示方書の規格をもはるかに上まわる強度を有し、欄干束柱には一本毎に支持金具があり、その腐朽度もさして大きなものと言えず、当時の資材事情よりみても、特に欄干について管理に瑕疵があつたとはみとめられない。又前記事故は異常な学生集団の圧力が一時にかかつたために発生したものであり、この様な圧力に対しては新しい欄干でも崩壊することは必至であるから、仮に荒神橋欄干のある部分について規格に合しない点があつたとしても、その欄干の弱さと学生等の転落との間には相当因果関係はない。
五、原告主張の損害額は否認する。
六、学生等の転落負傷は、警察官の違法な公権力の行使によりその故意過失で生じたものでもなく、又橋梁の管理の瑕疵によるものではないから被告はこれについて何ら賠償の責任はない。
仮に責任があるとしても、本件の事故発生については学生等に重大な過失があるから、損害額の算定について斟酌されるべきでありこれによつて損害額が皆無となるに至るものである。
(証拠)
原告
一、甲第一号証乃至第五号証、第六号証の一、二、第七号証の一、二、第八号証乃至第一一号証を提出。
二、検甲第一号証乃至第五号証を提出。
三、証人松浦玲、同下条一誠、同山本泰猛、同伊藤省吾、同安井惣次郎、同伊藤幹三郎、同伊多波重義、同藤田澄子、同今西俊二、同野口和彦、同小野村敏信、同林健太郎、同塩見己代治、同片桐学の各尋問。
四、鑑定人安宅勝の鑑定
五、当裁判所の検証
六、原告本人石塚忠義、同田代実、同野村秀和の各尋問
七、乙号各証は不知
八、検乙号各証は現場の写真であることを認める。
被告
一、乙第一号証乃至第八号証、第九号証の一乃至六、乙第一〇号証を提出
二、検乙第一号証乃至第二六号証、第二七号証の一、二を提出
三、証人松浦美雄、同出口龍太郎、同山脇力、同内春佳、同川見秀雄、同馬淵久四郎、同梶谷弘信、同笹原慶太郎、同田光長一郎、同小野信雄、同中山進、同岡万三、同北野祐作、同岡本良平、同中村愛三の各尋問
四、鑑定人安宅勝、同近藤泰夫の各鑑定
五、当裁判所の検証
六、甲第一号証乃至第九号証は不知、乙第一〇号証、一一号証は成立を認める。
七、検甲号各証は現場の写真であることを認める。
理由
一、事件発生の経過
(1) (争いない事実)原告等が昭和二八年当時いづれも京都大学学生であつたこと、同年一一月一一日京都市左京区吉田二本松町京都大学構内時計台下広場で集合していた原告葉山、同野村を含む同学学生約一二〇名は、同日午後四時二〇分頃四列縦隊で同所を出発し、同区近衛通、川端通を経て川端通荒神口付近の加茂川に架設されている荒神橋を東より西へ渡ろうとしたこと、その頃同橋西詰で京都市警察中立売警察署所属警部見習松浦美雄外一三名の警察官が取締りのため待機警戒していたが、右松浦美雄は同橋上へ進み出て前記の行進団に近接し、その先頭の者に無許可の集団行進だから解散する様警告し、更に行進団の統率責任者とみられる同学学生松浦玲に対し解散する様求めたこと、行進団は更に前進して松浦美雄は後退したこと、その時同橋西詰で待機中であつた前記警察官等は松浦美雄の応援にかけつけ行進団の前に立ちふさがり、双方対峙するに至つたこと、その直後同橋南側西端より東約三一、一米の位置にある石束柱と、それより更に東へ約一五、三米の位置にある石束柱、即ち同橋西より第四橋脚と第六橋脚との間の橋上に設置されている木製欄干が倒壊し、右行進団の学生中、原告葉山、同野村をふくむ学生一〇名余が橋上より河床に転落し負傷したことについては当事者間に争いがない。
(2) (行進団に参加し且つ転落した学生中に原告等がいたか)転落事故当時の状況を撮影したものにつき争いのない検乙第一、第二、第四、第五号証及び証人松浦玲、同下條一誠、同山本泰猛、同伊藤省吾、同伊藤幹三郎、原告本人石塚忠義、同田代実の各供述を綜合すれば原告石塚は行進団の最前列行進方向に向つて左端に、同大江は同列右より二人目に、同田代は同列右端に、同長野、同佐甲は三列目にあつていづれも行進団に参加していたものと認められる。又右各供述と証人片桐学、同塩見己代治、同林健太郎、同小野村敏信の各供述及びそれによつてそれぞれ真正に成立したと認められる甲第一号証乃至第五号証、甲第六号証の一、二、甲第七号証の一、二によつて原告等が当時それぞれ外傷乃至は外傷性疾患をうけていると認められることよりすれば、原告葉山、同野村以外の原告等もまた同橋より転落していたものと認めることが出来る。
被告は原告葉山、同野村を除いては原告等の氏名は救助され病院に収容された学生の中に発見し得ないと主張するが、被告挙示の氏名中佐甲明は証人林健太郎の供述により原告佐甲であると認められるのであり、又原告本人田代の供述によれば京都府立医科大学附属病院に収容された学生についてはすべて偽名を病院に申告したと言うのであるから、原告等の氏名が被告に知り得ないこともあると言わなければならず、この点について被告の主張は理由がない。
(3) (行進団と松浦警部との対峙の状況)証人松浦玲、同山本泰猛、同伊藤省吾、同松浦美雄、同出口龍太郎、同山脇力、同梶谷弘信、同笹原慶太郎、原告本人田代、同野村の各供述、当裁判所の検証の結果、現場写真であることにつき争いのない検乙第四号証及び争いない事実を綜合すれば松浦美雄は同橋西より約三八米西より第五橋脚付近で行進団と接触して警告を発し、なおも行進団は前進するので警部補出口龍太郎もその場に至り、前記松浦玲に対し解散を促し、更に松浦美雄は松浦玲の手を取り荒神橋口派出所まで来る様に求め、行進団の先頭にいた原告田代は松浦玲の手をとつて引きもどす等して右二名の警察官と行進団とは揉み合い、行進団は前進して警察官等はこれにおされて後退したと認められ、更に前示検乙第四号証と鑑定人近藤泰夫の鑑定の結果によれば行進団の先頭は同橋西より第四橋脚上の路面にある継目線(以下継目線4と略称する)より西の付近に至つたものと認めることが出来る。
(4) (行進団と応援に来た警察官との対峙の状況)証人松浦美雄、同山脇力、同内春佳、同川見秀雄、同笹原慶太郎、原告本人野村の各供述及び現場写真であることに争いのない検乙第六号証によれば、前(1) の通り同橋で待機中であつた警察官は橋を東進して行進団に接近し前示の様に継目線4の西まで来ていた行進団の前に前列六人後列四乃至五人位の横隊に並びいづれも警棒を両手で横たえて持ち、胸のあたりに擬して立ちふさがり、松浦美雄、出口龍太郎を押して西進して来た行進団は右警察官の隊列に接触するに至つたことが認められる。
(5) 原告等は警察官等は警棒で行進団の先頭の学生を押しあるいはこづいたりして行進団を後退させ、更に先頭を西及び北より圧迫してこれを欄干におしつけたと主張し、証人下條一誠、同山本泰猛、同伊藤省吾、原告本人石塚、同田代、同野村はいづれもこれに添う供述をし、被告は警察官は行進団に対し警棒を使用しておし返した事実なくむしろ行進団におされて後退しつづけており先頭で警察官と対峙していた学生は転落していないと主張し、証人松浦美雄、同出口龍太郎、同山脇力、同内春佳、同川見秀雄等現場にいた警察官は右に添う供述をしているのでこの点について検討しなければならない。
まず原告等転落した学生は行進団中どの位置にいたかという点をみると、橋上において原告石塚は最前列南側一番欄干に近い位置に、同大江は同列北より二番目に、同田代は同列北側に、同佐甲、同長野は三列目に位置していたことは前に(2) で認定した通りであり、又証人下條一誠、原告本人野村秀和の供述によれば原告野村ははじめ行進団の引率者として最前列列外にあつたが松浦美雄と接触した当時第一列と第二列の間に入りそのままになつていたと認められ、又証人下條一誠、原告本人田代の供述によれば下條一誠は隊列第二列目北より二番目におり、他の学生と共に転落したことが、又証人山本泰猛、原告本人石塚の供述によれば山本泰猛は第二列目南側におり、同様転落していることが、又証人伊藤省吾、原告本人石塚の供述によれば伊藤省吾は第一列原告石塚と同大江の間におりこれ又転落していることがそれぞれ認められるのであり、この様に原告その他転落した学生九名が前列三列目までにいたことが認められ、前記各供述と前示検乙第四、第五号証によれば行進団が松浦美雄、出口龍太郎の両警察官と揉み合い、応援に来た警察官と対峙するに至る直前までは原告等転落した学生の行進団中の位置は変つていなかつたと認めることが出来る。
前(3) (4) で認定した通り行進団の先頭と一〇名余の警察官が対峙した地点は継目線4より西であつて、先頭の者は落下した欄干のそばにはいないのであるから、これが転落するためには右地点より東へ少くとも二、三米は後退していなければならないはずであり、更に被告主張の通りであるとすれば先頭の学生は後部の学生を排するか何らかの方法で隊列の中へもぐり入んでいなければならない筈である。証人山本泰猛、同今西俊二、同川見秀雄、同馬渕久四郎、同笹原慶太郎、同田光長一郎の供述によれば行進団は松浦美雄と接触後十数名の警察官と接触するまでの間、前進し弥次をとばし掛声をかけ警察官と押し合いの状況にあつたと認められ、又前示検乙第四、第五号証、証人内春佳、同川見秀雄、同伊藤省吾、原告本人石塚、同野村の供述によれば行進団の先頭部分は当時スクラムを組んでいたのであり、証人山脇力も行進団を阻止している際先頭のものが隊列の中へにげ込むという状況は見ていない旨述べているところであつて右の様な点からすれば先頭部分のものが全部後続の中へ入り込み先頭部分が交代するということは考えられない。尤も警察官の隊列と対峙すると同時に行進団が乱れてうずをまく様になつて先頭の者が後部の者の中へまき込まれたということも想像としては可能であるけれども行進団にその様なはげしい動きがあつたことは証人松浦美雄、同出口龍太郎、同内春佳、同山脇力等警察官である証人の供述によつてもその他目撃者の供述によつても認めるには足りない。結局行進団の先頭部分にいた原告等はその先頭にあるままで後退し転落したものと認めざるを得ないわけで、事故を側面河原の上から目撃していた証人笹原慶太郎が川に落ちた学生には先頭の者もその少しあとの者もあつたと述べていることも右認定につき資料となるものである。
以上認定の通りであるとすれば、行進団が自発的に後退していつたものと考えられず、警察官と揉み合つている状態にある行進団を数米おし返すために行進団の進行方向より相当の圧力で警察官がおしたことは推認出来るところであり、僅か十数名の警察官でおし返すためには、警棒で、直接学生の体を突かなかつたとしてもこれを活発に動かして使用したことも、又警察官の左翼が行進団の北側へまわつて押したということもうかがわれるところであり、結局証人下條一誠、同山本泰猛、同伊藤省吾、原告本人田代、同石塚、同野村の述べる様に警察官より前方及び北側面より押し返され行進団の先頭部にいた原告等は後退を余儀なくされてじりじりと第四、第五橋脚間の南側欄干に押しつめられその状態で欄干落下と共に河床に転落したものと認めるのが相当である。
これに対して証人松浦美雄、同出口龍太郎、同山脇力、同内春佳、同川見秀雄の供述中右認定に反する部分は、行進団と警察官との対峙した位置、行進団中における転落した学生の位置等の関係を合理的に説明するものではないから採用出来ない。証人今西俊二の供述は記憶ない旨述べているところ多く、かつ又あいまいな部分が多くて信用出来ないし、又同人の供述を記載したという乙第一〇号証は松浦美雄が単独で行進団と対峙している内に転落がおこつた様に述べた旨の記載があり正確に当時の状況をあらわしているものとは認められない。証人馬渕久四郎、同梶谷弘信、同小野信雄、同田光長一郎、同中山進の各供述は、目撃者のものではあるがいずれも橋の西詰あるいは東詰付近で見ているのであるから警察官と行進団の間の位置関係については正確な認識は期せられないわけであり、又現場より四〇米以上はなれた地点より眺めているから、細い動きや警棒をどうしていたかについて正確な供述を得ることは困難であり、証人笹原慶太郎も七〇米ほどはなれたところから見ている関係上同様微妙な動きについては正確なものと言えず、乙第一号証乃至第四号証も右と同様であるからいづれも前示認定をくつがえすものではない。乙第八号証も単なる意見の記載以上に出るものでなく証拠とするに足りない。
二、欄干落下の原因
(1) 証人中村愛次の供述、当裁判所の検証の結果及び前示検乙第四乃至第八号証によれば荒神橋は鉄筋コンクリート造で、事件当時その欄干は木造であつて約一、八米間隔に木の束柱を路面の地覆石に打ち込んで立て、その上に木造の傘木をのせ、傘木の両端は約一六米間隔で立てられた石の束柱にはめ込んだ構造になつており、その木の束柱毎に鉄製の支柱でこれを補強する設計になつていたもので、同橋の写真であることにつき争いのない検乙第二四号乃至二六号証及び右証人の供述より本件で落下した欄干にも同様の支柱があつたものと認める。鑑定人安宅勝の鑑定の結果によれば右構造欄干は計算上一米当り一一〇瓩の荷重に耐えうるものであるが、欄干が群集に対するよりかかりに対して安全であるためには一米当り二〇〇瓩以上の推力に耐える必要があるところから、右の欄干は群集がよりかかる場合には容易に破損しうるものであり、又密集しない群集であつても衝撃的な力の加わる場合には一米当り一〇〇乃至一五〇瓩の推力が出しうるのであつて、この場合にも右欄干が破損することが認められる。
(2) 以上の通り当時の荒神橋欄干は群集の力により容易に落下しうるものであるが、本件の落下事故の原因につき原告等は警察官が行進団を押し返し欄干に押しつけたことによるものと主張し、被告は行進団の先頭が進まないのに後から押したためゆきづまつて欄干に行進団の圧力がかかつたものと主張する。前に認定した通り警察官等は行進団の先頭に圧力をかけて押し返し欄干におしつめているのであるからそれによつて欄干が落下するに足るだけの力が加えられていたことは容易に認めうるのであるが、更に行進団が後より押して来たため欄干に推力が働くということがあつたかどうか検討しなければならない。松浦美雄と接触後十数名の警察官と対峙するに至るまで行進団は前進し松浦美雄を押していたということは前に認定した通りであるが、証人伊多波重義の供述によれば行進団の一二乃至一三列目南側欄干よりにいた同人は一旦数名の警察官に止められた後又うごく気配がしたので前進しようとすると、その前にいた者がぐつと押し返して来た。欄干に手をかけてみると先頭の者が警察官におされているのが見え、そのとき欄干がぐらつと動いて自分より西(前方)の学生が落ち、自分の横の欄干も落ちたと言うのであり、後部の者が強く押しつづけていたということは認められず、又前示の通り先頭の学生が十名程度の警察官におしもどされたと言うことは警察官のおし方が強く、行進団のその時の圧力はそれに比し強くなかつたことを示すものと認められ又行進団の中程の学生の力でこの欄干が落下したものとすれば、その付近の学生も多く転落している筈であるのにその様な事実は認められない。以上の点から欄干の落下及びそれによる原告等の転落負傷は行進団の後方が押したことによるものでなく、警察官が行進団を押し返し学生を欄干に押しつめたことによるものとみるのが相当である。
証人小野信雄は学生がうしろから押して来て中ぶくれになつて落ちたと述べているが、前示の様に同人は橋の西詰から眺めていたにすぎず、押し合いの程度、行進団の後部の様子について正確に認識し得たかどうか疑わしく、乙第一、第二、第四号証のこの点についての供述記載も同様であり、乙第三号証の笹原慶太郎の供述記載も笹原のいた位置からでは中ぶくれになつたかどうか見える筈がないわけで、いずれも右の認定をくつがえすものではない。
三、傷害の程度
原告等が橋上より転落した結果負つた傷害について判断する。
(1) (原告石塚)前示甲第一号証、証人片桐学、原告本人石塚の各供述によれば原告石塚は胸部打撲により左湿性胸膜炎を起し二ケ月間安静治療したことが認められる。
(2) (原告葉山)原告葉山が脳挫傷兼顔面挫創、右左撓骨々折の傷害を負つたことは当事者間に争いないところであり、証人野口和彦の供述によれば昭和二八年一二月二〇日京都第二赤十字病院を軽快退院しその後も二回位治療をうけ、結局全治に二月程度はかかつたものと認められる。
(3) (原告大江)前示甲第三号証及び証人片桐学の供述によれば原告大江は加療一〇日間を要する上下口唇挫傷(上長さ一糎一針縫合、下長さ二糎二針縫合)及び打撲による前額部皮下出血の傷害をうけたと認められる。
(4) (原告田代)前示甲第四号証、証人片桐学、原告本人田代の各供述によれば原告田代は左足関節及び左第二指関節捻挫、打撲による陰嚢皮下血腫、左上眼窩部挫傷(長さ一、五糎)の傷害をうけ、外傷はほぼ三日位で治愈したが関節には三月間位痛みが残りびつこを引く状態であつたと認められる。
(5) (原告長野)前示甲第五号証及び証人小野村敏信の供述によれば原告長野は骨盤骨折、右挫骨骨切、顔面挫創の傷害をうけ、昭和二八年一二月一二日京都大学医学部付属病院を軽快退院したがその後もギブスベツト、ギブス副子の使用を要し、全治に尚二乃至三ケ月を要する状態にあつたと認められる。
(6) (原告野村)前示甲第六号証の一、二及び証人塩見己代治、原告本人野村秀和の各供述によれば原告野村は顔面挫創、頭部挫傷、外傷性脳膜炎、左腿刺創、門歯欠損の傷害をうけ昭和二八年一二月八日京都平和病院を退院しその後自宅で療養していたことが認められる。
(7) (原告佐甲)前示甲第七号証の二及び塩見己代治の供述によれば原告佐甲は左肩胛骨皹裂骨折、右肋骨弓部軟骨挫傷の傷害をうけ、昭和二八年一一月二六日京都平和病院を退院しその後も自宅療養を要したものと認められる。尚甲第七号証の一の病名は甲第七号証の二のものと異つているが証人林健太郎の供述によれば傷害の部位は同じでありただ診療医の意見の相異に帰すると考えられるので、入院治療にあたつた塩見己代治の意見を採用する。
四、被告の賠償責任
(1) (違法性)被告は原告等行進団の行為は集会及び集団示威運動に関する条例第一條に該当するものであり、警察官の行為は警察官等職務執行法第五条による警告及び制止に該る適法のものであると主張する。
証人松浦玲、同松浦美雄、同出口龍太郎の供述及び現場写真であることにつき争いのない検乙第三、第四号証によれば行進団は四列縦隊で腕を組み、歌を高唱して公の道路を行進し、荒神橋を渡りはじめる頃よりプラカード三乃至四本を立てており、これについて公安委員会の許可を得ていなかつたのであるから、行進団の主観的意図はともかく、集会、集団行進及び集団示威運動に関する條例(昭和二四年六月一日京都市條例第二九号制定、昭和二五年一一月二一日京都市條例第六二号改正)第一条に違反する集団行進に該る客観的要件は具備しているわけで、行進の主催者、煽動者、指導者には同条例第五條の罪が成立するうたがいが充分あるからこの点については少くとも犯罪がまさに行われようとする状態にはあることになり、これに対し松浦美雄が行進団に向つて警告を発するということは警察官等職務執行法(昭和二三年七月一二日法律第一三六号)第五条による警告として適法である。次に十数名の警察官が行進団を阻止し、これを押し返した行為について検討を加えよう。証人山脇力、同内春佳、同川見秀雄の供述によればさきに警告に赴いた松浦美雄、出口龍太郎が行進団に押し返されているのをみて応援のために現場に至り、行進団の前に立ちふさがつたというのであるが右供述と証人松浦美雄、同出口龍太郎の供述とによつても行進団は単に松浦美雄、出口龍太郎の警告にしたがわず行進をつづけようとしたというのみで、右二警察官に対し暴行をなさうとしたという点までは充分認められないのであつて、この状態ではいまだ同法第五条の「その行為により人の生命若くは身体に危険が及び又は財産に重大な損害を受ける虞」がある場合には該らないと言うべきである。尤も同條例第五條の罪の関係ではすでに既遂に達し刑事訴訟法上の強制処分をなすことは可能であるが、その対象は主催者、指導者、煽動者に限られるものであるからこの関係においても行進団の全員に対し強制力を加えることは許されず又訴外松浦玲は別として警察官が原告等に対して右に該当するものとして刑事訴訟法上の強制処分の措置に出たものであつたことは弁論の全趣旨によるも認められないところである。ただ同條例第四條は公安委員会は警察長に同條例第一條の規定による集団行進の参加者に対して公共の秩序を保持するため警告を発し、その行動を制止し、その他違反行為を是正するにつき必要な限度において所要の措置をとらせることが出来る旨規定しており、証人松浦美雄の供述によれば同人は行進団が京都大学より立命館大学に向う旨の情報を中立売警察署長より受けているところから右條項による指揮命令があつたのではないかということも考えられるが、その様に認める証拠もない。若し仮にその様な指揮があつたとして、松浦美雄が行進団に向つて警告を発するということは、前同様同條項による警告としても適法であるが、同條項にいう制止とは被制止者が現になさうとしている行為を阻止するものであつて、合理的に必要と判断される方法と範囲においてのみ行動の自由を拘束することをみとめているにすぎず、その制止行為によつて生ずるいかなる結果をも是認しているわけでなく、被制止者の生命身体に危害を加えるという結果を生ぜしめることは法の予期しないところであるから、制止にあたつて加える強制の方法程度も右の様な重大な危害を生ぜしめない範囲に止めなければならない。
本件において警察官等が行進団の学生を押し返し、更にこれを前示の様な群集の衝撃的な力に対しさして強くない橋の木製欄干に押しつめるという行為は、欄干の落下及びこれによる被制止者である原告等行進団の学生の河中転落の危険を有するものであり、しかも行進団を停止解散させるためにこの様な方法をとるに至るまでの必要があつたと認められず、その程度及び方法において右條項に言う制止の範囲を逸脱したものである。ほかに警察官等の右の行為を正当とするに足る事情は存在しない。そうしてこの結果被制止者である原告等に傷害を負わせているのであるから警察官等の行為はいづれの点からみても違法としなければならない。
(2) (故意過失)松浦美雄他十数名の警察官において違法に行進団の学生を河中に転落させようとする積極的意図があつたと認めるにたる証拠は存在しない。又証人松浦美雄は押し合つて橋の上から川に人が落ちたら困ると思つたと述べているがこれのみをもつてしては警察官等に結果の認識があつたとなすに足りない。したがつて故意の存在は認められない。しかしながら集団行進の取締にあたる警察官としてはいかなる場合にいかなる措置を取りうるかの法規上の根拠は知悉している筈でありその判断を誤つた場合には過失の責任はまぬがれない。又荒神橋欄干は前示の通り群集の力に対しては弱い木製欄干であり、この様な構造の橋の上で集団行進を制止し解散させる場合、あるいは群集が揉み合い押し合いしたため欄干が落下し人の生命身体に危険が及ぶことは容易に知りうるところであり、前記証人松浦美雄の供述もこれに添うものであつて、集団行進の制止にあたる警察官としては当然この点を認識しその様な結果の発生しない様な方法をとるべき注意義務があるわけである。しかるに警察官等は前示の様に行進団の先頭の学生を西側及び北側から欄干に力のかかる様な方向に押しつめそのため欄干を落下させて学生等を転落させているのであるから右の注意義務を尽していたとは認められない。証人松浦美雄は他の警察官等に警棒でおさない様に注意したと述べているのであるが、証人山協力等他の警察官においてこの様な具体的な指揮があつたのを聞いたと述べているものはないから、この点につき注意を払つていたものとは認めがたい。
以上の通り警察官等に過失があつたことを認めることが出来る。
(3) 当時被告京都市が右警察官等の所属する京都市警察を維持しその経費を負担していたものであることは当事者間に争いのないところであるからその余の点(原告主張四の荒神橋の管理の瑕疵)について判断するまでもなく被告は原告等の損害につき賠償の責任がある。
五、損害額
(1) 被告は賠償額の算定については原告等の過失を斟酌すべきであると主張する。なるほど前に認定した様に行進団が警察官の警告停止にしたがわず敢てこれを押して行進を続けていつたことが本件事故を誘致したのであるから行進団に参加して先頭部にあつた原告等はこの点につき過失があつたといわなければならない。
(2) 原告等が前示の傷害によつてこうむつた精神的損害についてはその当時における傷害の程度、及び現在後遺症のため社会生活に支障を来す者はないと認められること、当時学生であつたということと原告等に前示の如き過失のあつたことを斟酌し、原告石塚、同葉山、同長野、同野村についてはそれぞれ五〇、〇〇〇円、同佐甲については三〇、〇〇〇円、同大江、同田代についてはそれぞれ二〇、〇〇〇円が相当であると認める。
六、結論
原告等の本訴請求は以上にのべた範囲においてのみ正当であるからその限度でこれを認容し、その余の請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条第九二条但書を適用し、仮執行の宣言については同法第一九六条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 石崎甚八 石川恭 尾中俊彦)